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就職、結婚、出産と、順調だった人生の一幕目。ところが二幕目でいきなりのどんでん返し。女ひとり、幼子を抱えて飛び込んだのは、営業という未知の世界。しかし、そこには普通では味わえない、ほんものの人情があった。感謝と覚悟をこめて、お客様に言い続けてきた言葉は「私、絶対に辞めませんから」。

「キミの一番の才能は、この環境や」。10年余り前、上田昇社長が私に言った言葉です。当時私は、赤ん坊だった息子を抱えて離婚したばかり。何がなんでも働いて、この子を養っていかなくてはという状況でした。社長はそれを「なんという強みをキミは持っているんや」と言ったわけです。
言われて見ればその通り。でもじつは会社も同じような状況でした。そう、「後が無かった」のです。
1985年に設立された、ゴデスクリエイトの母体である戸上通信システム株式会社。コンピュータシステムを販売していたこの会社は、一時は急成長したものの、その後バブル崩壊のあおりを受け、倒産寸前にまで追い込まれていました。そこに、「家が近いから、子連れでも働けるはず」と、のこのことやってきたのが私。お金が欲しかった私は、営業ウーマンとして業績を上げ、高いサラリーを貰おうと思いました。そしてその日から、社長の猛烈な“しごき”が始まったのです。

初めての会社に、一人で車を運転して行き、契約をもらうというのは、私にとっては大変なストレスでした。しかも、その日のうちに判を捺して貰って来いと言われるのです。
忘れもしません。あれはたまたま社長と2人で出かけた車中でのことでした。その頃私の母が病に倒れ、今日か明日かという状態に陥っていました。最期くらいは一緒に居てあげたい。そう思った途端、言葉が口をついて出ていました。「もう、できません」。
すると突然、社長が烈火のごとく怒り出し、「ここで降りろ」と叫んだのです。降りろと言われても、そこは高速道路の上でした。「ほかに誰がするねん」。次々に浴びせられる言葉。あの時社長は、私の仕事に対する覚悟の不足を叱ったのでしょう。お前が簡単に投げ出したら、お客さんはどうなるんや…。
以来、私はお客様に「どうせあんたも何年かしたら辞めてしまうんやろ?」と聞かれるたびに、「絶対に辞めませんから」と答えるようになりました。そして、世の経営者と言われる人たちが会社を存続させておられるのは、単に自分のためだけではないのだと、心から尊敬の念を抱くようになったのです。